誇らしく生きるための術を探して〜令和のキャリア〜

「好きなことをしないと生きていけなくなる」と世間から脅されていますが、好きなことを自覚するのって難しいですよね。そんな時代のキャリアってどうしたら良いのか。自分のことを誇らしく思えるように生きるには?好きなことを見つけるには?好きなことに愛を注いで生きていくには?そんなことを悩むブログです。

好きなこと、楽しいことは何か

 

自分の好きなこと、自分が心から楽しいと思えることをしよう

という風潮が強くなっていますね。

僕自身も、好きなこと・楽しいことでなければ真剣に取り組めないし、真剣に取り組めなければそれで生きていけない論者の一人です。

好きなこと・楽しいことだからこそ切実な関心をいだけますし、切実な関心があるからこそ時間や労力や資金を惜しみなくつぎ込むことができ、結果として武器(=社会を生き抜くための専門性)を手にすることができると思います。

 

ですが、好きなこと・楽しいことを見つけるのってなんだか難しい、って思いませんか?

 

僕自身は、自分の好きなことや楽しいことがまるでわからなくなってしまっています。

ジプシーです。

「好き」って言葉にはたくさんのレイヤーがあって、どちらかと言うとこれが良いっていう好きもあれば、これがないと死んでしまうという好きもあるし、人類としての人間としての制度設計としての好き(欲求)もあるし、他者に誘導された好きもあるし、そう言うのに全く当てはまらない好きもありますよね。

美味しいものが好き、寝るのが好き、セックスが好き、異性が好き、体を動かすのが好きなどは、人間の制度設計としての「好き」であり、脳内物質の放出と同じだと思います。

人間の気分は身体の状況に連動しており、ドーパミンやセルトリンが出れば楽しい、オキトキシンが出れば愛おしい、癒されるとか、かなり化学的で生物学的な反応のように思います。

 

ですが、絵を書くのが好き、音楽が好き、小説が好き、という文化に対しての好きは、制度設計の外のようにあるように思います。

なんというかバグ?というか裏技?みたいな感じで、本来は別に好きにならなくてもよいものでも好き、というのはなんだかその人の個性のように思えますね。

人間の制度設計としての好きも、それを探求し続けるレベルの人になると、明らかに制度的な欲求を超えた執着をもっているように思う。

グルメのためなら日本中、世界中を飛び回る人とか、最高のラーメンを作るために10年以上研鑽をした人とか、運動の中でも走り幅跳びだけが好きで、走り幅跳びならいくらでもしたい人とか、女性が好きで女性を探求したいとか言いながらナンパし続けている人とか。

 

村上龍は「無趣味のすすめ」という本の中で、「自分にとって小説は別に好きとかではないが、なくては生きていけないもの」「とても思考力を使うし、大変だが、書き終えたあとは不思議と充実感がある」「何かを本当に好きになったらそれは自然と仕事になる」みたいなことを書いていました。

「好きを仕事に」という好きは、そういう一種の執着のようなものだと思います。

 

うちの父親は50代なんですが、すこし早めに会社をやめて退職金を運用して生活しています。

そして、空いた時間を使って1日8時間以上、毎日絵を描いてすごしているそうです。

父親曰く「自分には別に社会の居場所なんて家族だけでよかった。誰とも会わないで、毎日絵を書いているのがすごく楽しいし、幸せ。他人にはわからないかもしれないけど、1枚1枚新しい工夫があって、どんどん自分が上手くなっていくのを感じる。死ぬまでに究極の絵を描きたい」とのことでした。

父は自分が愛を注ぐべき対象を見つけたのでしょう。

僕は自分の好きなものがわからなかったのでどうやってたどり着いたか聞いてみたら、「自分も仕事をやめてイラストレーターになりたいって思ったことがあったけど、その度に『そんなんでは食っていけない』と冷静になる自分がいて踏み出せなかった。たまたまの巡り合わせで絵だけをかける生活になって『あぁ、やっぱり自分は絵を描きたかったんだな』と思い知った感じ。『やっぱり』って感覚が大事かもね。」と言っていました。

 

Fateで一躍有名になったなすきのこさんの小説で「空の境界」というのがあります。

空の境界の世界観では、「起源」というものがあります。

「そのモノの原初の方向性。そのモノがそのモノである事をたらしめるもの。根源の渦から生じた混沌衝動を魔術では起源と呼ぶ。
この世の全てのカタチあるものは生まれた時から何かしらの『起源』があり、その起源にそって行動するとされている。」

「例を挙げると『剣』という起源の持ち主は無意識に剣に対して強い執着心を持つようになり、刃物を集めて見惚れるようになったりする。
また『禁忌』という起源の持ち主は人間だろうと獣だろうとその種の道徳と定められたモノから外れた行為を好むようになる。

つまり、起源とはその持ち主の「本能」とも言えるもので「そうであるよう」仕組まれている絶対命令である。」 

アニヲタwikiより

もちろん小説ですしファンタジーなので現実に「起源」があるとは言いませんが、そういう魂の形みたいなものはあるのかもしれないと思っています。

産まれながらなのか、それとも生きていく過程で生じた偏りなのか、人間の制度設計を超えた歪みが「好き」という感情なのではないでしょうか。

生きていく過程で身につけた歪みは産まれ育った環境によって偶然引き起こされたものですが、「そうならざるを得なかった」というような偶然こそ運命と呼ぶべきものかもしれませんし、運命として身につけた歪みは受け入れて生きていくしかないと思います。

 

色々な人が、色々な媒体で語っているように、好きを大事にしなければ誇らしく生きていくことができない時代はもうきているのだと思います。

なので、僕たちは、自らの歪みに自覚的になり、好きを見つけなければいけない。

とはいってもどうやれば好きが見つかるのか、その方法はわかりませんが、父のいうように『やっぱり』という感覚を大事にしてみると良いかもしれません。

となると、好きは発見するものではなく、再発見するものなのかもしれませんね。

 

 

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