現実原則に縛られて
生きていくには好きなことをするのが大事だ、って話はもうなんども書いた気がしますが、僕たちはそれ以前に現実的な制約にしばれています。
それは食べなければ生きていけないということであったり、食べるにはお金が必要ということであったり、お金を手にするには働かなければいけなかったり、働くには他者に気を使わないといけなかったり、我慢しないといけないことがあったりということです。
したいことをやれば良いと言っても、食べたいだけ食べれば太りやすくなり健康が害されるかもしれないから、ある程度節制しなければいけないし、恋人が欲しければ身なりをきちんとし、出会いの場に顔を出し、好かれるように努力しないといけないです。
こういう現実的な原則を逸脱すると、他人ひいては社会から反発を受けますし、そもそもの人間の設計としていきていけませんし、望んだことは達成されません。
なので、したいことをするためにも現実原則を考慮することが大事です。
ですが、世の中には現実原則に見えて、ほんとうはただの幻想だったりするものがあります。
上司に残業しろとプレッシャーをかけられても、社内規則的に問題がなければ罰則を与えることは本来的にはできないでしょうし、そもそもの社内規則が日本国の法律を逸脱していればその規則に正当性はありません。
僕たちはたくさんの暗示の中に生きているけど、どの暗示にかかるべきなのか、どんな妄想のなかで生きていきたいのか自分で選ぶ必要があるのかもしれませんね。
なので、完全に好きなことだけで生きることは現実原則的に不可能ですが、好きなことファーストで生きることは可能なのかもしれないです。
「もうダメなんて思うから、ほんとにダメになるって。すべては暗示だって。人間は暗示の織物(テクスチュア)なんだって。それが俺たちの考え方なんだって。」
「自分でかけた暗示のトリックに、自分ではまっちまったらおしまいだ。そいつは暗示のレールの上を一直線に走っていくだけさ。」
「だから」
「…暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある」いとうせいこう 解体屋外伝より
すべてはただの暗示です。
社会なんて全て幻想、そこにあるのはただの人間であり、人間の集まりです。
暗示の外にでて、自分の好きなことを探しましょう。
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