誇らしく生きるための術を探して〜令和のキャリア〜

「好きなことをしないと生きていけなくなる」と世間から脅されていますが、好きなことを自覚するのって難しいですよね。そんな時代のキャリアってどうしたら良いのか。自分のことを誇らしく思えるように生きるには?好きなことを見つけるには?好きなことに愛を注いで生きていくには?そんなことを悩むブログです。

誇らしく生き抜くためのたった一つの方法

もっとも重要なのは、生きのびていくこと、生存そのものです。

五分後の世界」---村上龍

 

まず生きるとはどういうことでしょうか。

肉体的な生存は、心臓が動いていることや脳みそが働いていることなどがあげられると思います。

どこからが生存なのか?というのは難しい問いですが、仮に脳みそが動いており、その状態を維持できる状態のことをさすとしましょう。

 

では、外から見て、その人が生きているかどうかを判断するにはどうしたらよいでしょうか。

一つには、外界からの刺激に対して、何らかの意思表示ができれば生きていると言えるでしょう。

言葉で伝えるのはもちろん、視線を動かしたり、身振り手振りで何かを伝えようとしたり、涙や表情なんかでも伝えることができるかもしれませんね。

 

そういうことを考えてみると、思考ができ、他者にたいして何かしらの意思表示が可能な状態が生きている状態といえる気がしてきます。

 

次は精神的な話を考えてみましょう。

肉体的に生きていたとしても奴隷のように扱われ、意思も権利も剥奪されてしまった人の意思は「生きている」と言えるのでしょうか?

 

ナチスドイツに捕まり、一時はアウシュビッツに送られ殺させかけるも、ギリギリのところで別の収容所に送られ、そこでもギリギリのところで生き抜いた精神科医がいます。

ヴィクトールフランクルというユダヤ人で、強制収容所の人々の姿を精神科医として分析した「夜と霧」という本を書いた人です。

 

ヴィクトールフランクルによると、強制収容所にいた人々でも、看守と取引し仲間を売り渡すことで利益を得ていた悪魔のような人と、看守でありながらもユダヤ人を憐れみポケットマネーでユダヤ人たちに治療を施した天使のような人がいたそうです。

そういった姿を観察したフランクルが出した結論は、「どのような劣悪な状況においても、その状況に対する態度、向き合い方を選ぶ権利を奪うことは誰にもできない」ということでした。

フランクル強制収容所の生活を通して、人間にはあらゆる困難に対しての態度を決めることをできる能力が備わっているということを明らかにしました。

 

奴隷のように扱われたとしても人はその扱いに対する態度を自ら決めることができるので、その人が自らの意思を失わなければ生きていると言えるし、それすら放棄し、周囲に媚びてしまえば死んでしまったと言えるのだと思います。

 

すべての差別は、勇気とプライドのないところに、世界に向かって勇気とプライドを示そうという意思のない共同体の中に、その結束と秩序を不自然に守るためにうまれるものです。

五分後の世界」---村上龍

 

生き延びるためには、自らの意思を尊重し、自分が正しいと思う態度を示せる勇気とプライドが必要です。

フランクルが見たように、仲間を売り渡す悪魔のような振る舞いをするのか、自分が罰せられるリスクを背負いながらもポケットマネーで薬を買ってあげる天使のような振る舞いをするのか、自らが正しいと思う姿を世界に示すことが精神の生存の条件のように思います。

 

ですが現実問題、奴隷のようにあらゆる権利を剥奪されてしまったら、それに抵抗するための能力も心の拠り所もなくなってしまいそうに思う。

 

読書猿さんのブログによると、南北戦争以前のアメリカ合衆国南部では、奴隷に「読み書き」を教えた白人は厳しく罰せられたそうです。

その中で、フレデリックベイリーという黒人奴隷は、文字の存在に自力で気づき、紆余曲折ありながらも文字を読み書きすることを身につけます。

読み書きを身につけたベイリーは逃亡し、奴隷制が廃止されているニューイングランドまで逃げ果し、最終的には政治家として奴隷制の廃止に尽力するようになったそうです。

 

ベイリーは、読み書きの習得を邪魔する様々な困難に歯向いながら、努力を続け「読み書き」という生き延びるための武器を手に入れました。

そして最終的に、奴隷制の廃止に尽力して、勇気とプライドを全世界に示すまでに至りました。

 

敵にもわかるやりかたで、世界中が理解できる方法と言語と表現で、われわれの勇気とプライドを示しつづけること、それが次の時代を生きるみなさんの役目です…

五分後の世界」---村上龍

 

自らの意思で正しいと思うことを実行し、世界中に勇気とプライドを示すには、磨き抜かれた武器が必要です。

村上龍の小説「五分後の世界」では、世界中を熱狂に包み込むピアニストや、見ている人の背中に稲妻が走ったような衝撃を与えるダンスをするダンサーなどが登場します。

彼らは、プライドを持って、しかも楽しみながら自らに訓練を課している、とありました。

 

誇らしく生き抜くためには、プライドを持って自らに訓練を課し、誰もに伝わるレベルまで高められた武器が必要なのではないだろうか、と思います。

武器を身につけるには、ただただ苦しい訓練ではなくて、興味と関心を傾け、楽しみながら訓練に取り組むことが鍵なのかもしれません。

 

最近作ったサイト

何か武器を身につけるためには、興味と関心を傾けた訓練を、繰り返し行うしかないのだと思います。

前職の上司に「何かを身につけるのに一番重要なのは、意識した試行回数だ」といわれたことがあります。

5年だらだら続けるよりも、3ヶ月だろうと試行錯誤しながら試行回数を増やし続けた人間の方が強い、という話です。

 

生きていくのに十分の強度の武器を早く身に付けたいな、と思います。