暗示の外に出ろって話
いとうせいこうさんの「解体屋外伝」という小説があります。
僕はこの小説がとても好きです。
僕たち人間は暗示の織物で、暗示のレールに沿って行動し、生きていく。
自ら「もうだめだ!」なんて思い込んでしまったら本当にダメになってしまう。
自分で、自分に暗示の罠をかけてしまったらおしまいだ。
だから、暗示の外に出るんだ。俺たちには未来がある。
と、「暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある」という暗示を繰り返し唱えます。
僕たちは世界に蔓延する暗示の中にうかんでいて、暗示がなければ外界を認識できず、思考もままならない存在です。
人間は考える葦だなんていった人もいましたけど、僕たちは自発的に考えている訳ではなく、自分の中に刻まれた暗示にしたがって、刺激に反応しているだけなんだと思います。
もちろんこの思考も暗示で、暗示のない世界には狂気しか広がっていない。
完全に暗示(=言語)を失って仕舞えば、発狂し、生存することすらできなくなるでしょう。
宗教も文化も、時間も国境も、暦も言語も全て誰かが勝手に決めて、大多数の人が採用しているからという理由で使われているだけの暗示にすぎません。
そこには論理的な根拠なんてなくて、ただ大多数が支持しているから、というだけで使われているにすぎないのだと思います。
僕たちは、暗示に依存し、暗示でできた土台の上でものを考え、発言をし、創作を行い、新たな暗示を生み出し、それが多くの人に受け入れられれば土台の一部となり、無自覚に暗示を生み出す側に周り、暗示なしでは生きていけない。
だからこそ、僕たちは、自分たちが乗っかる暗示に自覚的になるべきなんだと思います。
暗示の外には別の暗示が待っている。
全ての暗示を拒絶すれば、そこに待っているのは狂気。
でも僕たちの生きる世界には、無数の暗示が広がっていて、別の暗示(物語)から別の暗示(物語)に乗りうつることができるはずなんです。
肉体的な限界や、認知的な限界があるから、無数に暗示ホッピングを続けるわけにはいかないでしょう。
ただ、最初に与えられた暗示だけを盲信する人生なんて、僕はいやだなと思ってしまう。
だからこそ、「暗示の外に出ろ、俺たちには未来がある」という暗示を自らにかけ続け、自由を求める終わりのない旅に出たいなんていう欲望を感じているのだろうと思う。
自由意志なんてないと思いながら、自由を信じたいという愚かな思想だと思う。
あぁただ早く死にたいと思うけれど、死ぬのは怖すぎて、結局何もできないなんて思うけれど、早く死にたいのならさっさとやりたいことを全部やって、やりきって死ねばきっと満足して死ねるのだろうと思って、日々自由なんて言葉を求めて呪いながら、もっと何も考えずにすむような存在でありたかったなんて夢物語もいいところでさっさと終わりにしたいけれど、死ぬに死ねないからお酒を飲んで頭を曖昧にしてなんとか生きている今日この頃。
支離滅裂な自分自身で、もう社会なんて全部放棄してしまって、誰とも関わらずただお酒と漫画と美味しいものを味わって生きていきたいなんて思うけれど、長らく鍛えられた真面目ちゃんな自分は仕事をサボることも、やめることもできないまま、ただただ石を踏みにじられる屈辱を感じ、その屈辱すら受け取ってもらえぬ惨めさを憎しみに変え、関わる人を呪い、社会を憂い、自らの存在を儚んで、ただただ無意味に言葉を羅列する訳です。
きっと明日になってこんな文章を読み返せば、恥ずかしくって赤面して、すぐに削除するんだと思うけど、あえてこのまま後悔するのもありかなって遊び心が芽生える。
こんな遊び心があってたまるかって話だけど。
いきていくには酔いが必要で、遊びが必要で、祭りが必要だと最近強く感じます。
日常という穢れの場において、憎しみを感じ、世界を呪い、ただ天国を欲する心は、酔いによって遊びによって祭りによって解放され癒され浄化されるのが本当なんでしょう。
でも、親の目と先生の目を気にし続けて、それを暗示として内面化してしまって、自縄自縛にとらわれた人間には、遊ぶというのが存外難しく、ただ酔いを求めて彷徨うだけでした。
だから、僕は暗示の外に出たい。未来を信じたいと思うのでしょう。
未来がある。という暗示をかけてしまっているから僕はまだ死ねない。絶対に死なない。ふざけるな。
暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある。
暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある。
何にも考えないのが悟りだというのなら、さっさと悟ってこの苦しみから解放。
暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある。
鬱の人のほうが現実を正確に捉えている
鬱病の人のほうが現実を正確に捉えている、みたいな話を聞いたことがあります。
僕自身は正式に鬱病の診断を受けたことはないのですが、気分が落ち込んでいるときは自分の置かれている状況の悪さを実感したり、逆転なんて難しいことを感じたり、人間にできることはたかが知れていると感じたりします。
具体的に言うと、歩道を歩いているときに「向かいからトラックが突っ込んでくる可能性が十分あるなぁ」と思ったり、ふとした瞬間に「今の生活を続けても経済的にも人間関係的にも一向に楽にならないよなぁ」と思ったり、人とすれ違うたびに「突然殴りかかられたら危ないから少し距離をとろう」とか考えてしまいます。
僕のは被害妄想な気がしますが。。
鬱病とかのネガティブな状態は、現状を正確に認識できている、と言えるかもしれません。
普段生きている僕たちは楽観的な幻想に包まれて生きているのかもしれなくて、その楽観的な幻想は人が行動するのに必要不可欠なものなんでしょう。
そして、楽観的な幻想によるリスクを考慮しない行動が生存に必要だったから人間の機能として残ったのではないでしょうか?
ネガティブで現実的な考えしかできない人類は淘汰され、非現実的でも幻想を信じて行動しちゃうポジティブな人類は結果的に生き残っている。
正確な認識も、ネガティブな現実も生きるのにはなんの役に立たなくて、感覚的な言動やノリみたいなもののほうが生きるのに役立つのかもしれません。
一応根拠みたいなものもあって、それは現実は流動的だから、っていうことです。
現実世界は常に変化し続けていて、次の瞬間何が起こるかなんて誰にも分からない。
だからこそどんな理由付けであれ行動し続ける人が適応的なんでしょう。
全部自戒です。
とても眠いから、ネガティブなことばかり考えてしまいますが、こんなときはこんなもの書かないで早く寝ろってことですね。
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余計なことを考えない
今、ウイスキー飲みながら書いています。
25になってやっとわかったんですけど、お酒って美味しいですね。
味も美味しいですし、気持ちもふわふわして陽気な感じになれるので、とても良いものだなぁと思います。
生きていく上で大事なことはたくさんありますが、そのうちの1つに余計なことを考えない、という能力があると思います。
人間は大脳が発達してしまった生き物です。
脳みそは暇があると、色々なことを自動で考えます。
現状の不満だったり、将来の不安だったり、叶わない妄想だったり、しょうもない空想だったりです。
しかし、そういった無駄な思考は、脳みそのリソースを食いつぶし、人間の能力を引き下げてしまいます。
本来考えるべきことは、どうやって目の前の課題を解決するか?という課題解決についてだけのはずです。
今日の献立は何にしようか?とか、この仕事はどういう手順で行えば効率が良いか?とか、何時に家を出れば目的地に時間通りにたどり着くか?などですね。
それ以外のことは、無駄なことなので、本当なら考えない方が良いのです。
無駄なことを考えてしまうと、不安で眠れなくなったり、バカな妄想のせいで余計な言動をしてしまったり、現実が見えなくなったりしてしまいます。
そうなると、脳みそのリソースを使えなくなるだけでなく、体調不良や余計なトラブルを引き起こしてしまい、あらゆる意味で損をしてしまいます。
なので、余計なことを考えず、いま目の前にあることだけに意識をフォーカスするのが理想ですね。
マインドフルネスなんかは、そういう思想だと思います。
僕の好きな漫画に「彼方のアストラ」というのがあるんですが、その中のセリフに
「山で遭難した時、空腹と考える時間が敵だった」
「分かんねえことをいくら考えたって分かんねえんだ!」
というのがあります。
解決策がない時に余計なことを考えてしまうと、気持ちがブルーになりますし、「わからないことは考えない」と割り切ってしまうのが一番賢い選択ですね。
お酒は素晴らしい。
酒なしでも、余計なことを考えずにすむように、今年は思考をシンプルかつタフに磨き上げていきたいと思います。
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ウイスキーだけじゃなくて、焼酎も美味しいです。
お湯割美味しい。ロックも美味しい。
お酒が好き、という人の気持ちがわかってきました。
もう少しお酒を楽しめるようになったら、バーとか飲み屋とか開拓してみるのも面白いかもしれないな、と思います。
まぁ、サイトアフィリエイトの結果が出始めてからだけど。。
誇らしく生き抜くためのたった一つの方法
もっとも重要なのは、生きのびていくこと、生存そのものです。
まず生きるとはどういうことでしょうか。
肉体的な生存は、心臓が動いていることや脳みそが働いていることなどがあげられると思います。
どこからが生存なのか?というのは難しい問いですが、仮に脳みそが動いており、その状態を維持できる状態のことをさすとしましょう。
では、外から見て、その人が生きているかどうかを判断するにはどうしたらよいでしょうか。
一つには、外界からの刺激に対して、何らかの意思表示ができれば生きていると言えるでしょう。
言葉で伝えるのはもちろん、視線を動かしたり、身振り手振りで何かを伝えようとしたり、涙や表情なんかでも伝えることができるかもしれませんね。
そういうことを考えてみると、思考ができ、他者にたいして何かしらの意思表示が可能な状態が生きている状態といえる気がしてきます。
次は精神的な話を考えてみましょう。
肉体的に生きていたとしても奴隷のように扱われ、意思も権利も剥奪されてしまった人の意思は「生きている」と言えるのでしょうか?
ナチスドイツに捕まり、一時はアウシュビッツに送られ殺させかけるも、ギリギリのところで別の収容所に送られ、そこでもギリギリのところで生き抜いた精神科医がいます。
ヴィクトールフランクルというユダヤ人で、強制収容所の人々の姿を精神科医として分析した「夜と霧」という本を書いた人です。
ヴィクトールフランクルによると、強制収容所にいた人々でも、看守と取引し仲間を売り渡すことで利益を得ていた悪魔のような人と、看守でありながらもユダヤ人を憐れみポケットマネーでユダヤ人たちに治療を施した天使のような人がいたそうです。
そういった姿を観察したフランクルが出した結論は、「どのような劣悪な状況においても、その状況に対する態度、向き合い方を選ぶ権利を奪うことは誰にもできない」ということでした。
フランクルは強制収容所の生活を通して、人間にはあらゆる困難に対しての態度を決めることをできる能力が備わっているということを明らかにしました。
奴隷のように扱われたとしても人はその扱いに対する態度を自ら決めることができるので、その人が自らの意思を失わなければ生きていると言えるし、それすら放棄し、周囲に媚びてしまえば死んでしまったと言えるのだと思います。
すべての差別は、勇気とプライドのないところに、世界に向かって勇気とプライドを示そうという意思のない共同体の中に、その結束と秩序を不自然に守るためにうまれるものです。
生き延びるためには、自らの意思を尊重し、自分が正しいと思う態度を示せる勇気とプライドが必要です。
フランクルが見たように、仲間を売り渡す悪魔のような振る舞いをするのか、自分が罰せられるリスクを背負いながらもポケットマネーで薬を買ってあげる天使のような振る舞いをするのか、自らが正しいと思う姿を世界に示すことが精神の生存の条件のように思います。
ですが現実問題、奴隷のようにあらゆる権利を剥奪されてしまったら、それに抵抗するための能力も心の拠り所もなくなってしまいそうに思う。
読書猿さんのブログによると、南北戦争以前のアメリカ合衆国南部では、奴隷に「読み書き」を教えた白人は厳しく罰せられたそうです。
その中で、フレデリックベイリーという黒人奴隷は、文字の存在に自力で気づき、紆余曲折ありながらも文字を読み書きすることを身につけます。
読み書きを身につけたベイリーは逃亡し、奴隷制が廃止されているニューイングランドまで逃げ果し、最終的には政治家として奴隷制の廃止に尽力するようになったそうです。
ベイリーは、読み書きの習得を邪魔する様々な困難に歯向いながら、努力を続け「読み書き」という生き延びるための武器を手に入れました。
そして最終的に、奴隷制の廃止に尽力して、勇気とプライドを全世界に示すまでに至りました。
敵にもわかるやりかたで、世界中が理解できる方法と言語と表現で、われわれの勇気とプライドを示しつづけること、それが次の時代を生きるみなさんの役目です…
自らの意思で正しいと思うことを実行し、世界中に勇気とプライドを示すには、磨き抜かれた武器が必要です。
村上龍の小説「五分後の世界」では、世界中を熱狂に包み込むピアニストや、見ている人の背中に稲妻が走ったような衝撃を与えるダンスをするダンサーなどが登場します。
彼らは、プライドを持って、しかも楽しみながら自らに訓練を課している、とありました。
誇らしく生き抜くためには、プライドを持って自らに訓練を課し、誰もに伝わるレベルまで高められた武器が必要なのではないだろうか、と思います。
武器を身につけるには、ただただ苦しい訓練ではなくて、興味と関心を傾け、楽しみながら訓練に取り組むことが鍵なのかもしれません。
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何か武器を身につけるためには、興味と関心を傾けた訓練を、繰り返し行うしかないのだと思います。
前職の上司に「何かを身につけるのに一番重要なのは、意識した試行回数だ」といわれたことがあります。
5年だらだら続けるよりも、3ヶ月だろうと試行錯誤しながら試行回数を増やし続けた人間の方が強い、という話です。
生きていくのに十分の強度の武器を早く身に付けたいな、と思います。
いかに怠惰であるかがエンジニアの資質
怠惰、短気、傲慢
この3つがエンジニアの三大美徳である、みたいな話は有名ですよね。
重要な順に並んでるらしくて、怠惰が一番重要みたいです。
同じことを2回しないで済むように、なるだけ人の手を介さずに効果を得られるように、面倒くさいことをなるだけ省くように。
怠惰であるためにテクノロジーを駆使するのがエンジニアとしての資質であるのはよく分かりますね。
また短気は面倒くさいことに直面したときに「ダルすぎ、自動化できないかな?」って最初に考えることで、傲慢は「自分は天才だから、完璧なコードを書かないといけない」という自負のことを指すみたいです。
エンジニアという仕事自体は、別に好きでも嫌いでもないけど(肩こりになるのはちょっと嫌かな。スタンディングデスクほしい)、エンジニアの資質とか、エンジニア的な考え方は好きですね。
より効率的に、より効果的に。
効率的、効果的を突き詰めていくことが、個人の影響力にレバレッジを効かせることに繋がりますし、最終的に自由につながる道なのかも。
人間関係ほど煩わしいものはないので、エンジニア的な考え方を突き詰めていけば、独立も近いかもなとか。
人間関係から得られる幸せもあるんですけどね。人間関係の維持構築があまり得意ではないから、独りに憧れてしまう。
個人の時代とか言われるけど、個人の時代に能力が低い人間はどうなるのだろうか。
やはり福祉的な考えと、資本主義は真っ向から対立しているのかも。
セーフティネットは残るような社会であって欲しいですよ。
楽に生きるには、いかに怠けるかを考えないといけないですね。
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正論を言ってはいけない
最近父親から言われたアドバイスです。
「正論なんていってはいけないよ」
「正論なんていうやつは嫌われてしまうから、周りからいじめられて、孤立して何も得な事にはならないよ」
昔、上司に正論をぶつけては論破するを繰り返した結果、蛇蝎のごとく嫌われ左遷されそうになったり、最終的に本当に左遷みたいなことさせられた父の言葉は重いですね。
伊坂幸太郎の「重力ピエロ」で
「兄貴、俺さ、『いままで議論で負けたことがない』とか
『どんな相手でも論破できる』とか自慢げに話してる奴を見ると、
馬鹿じゃないかって思うんだよね」
「どうしてだ」
「相手を言い負かして幸せになるのは、自分だけだってことに気づいてないんだよ」
というシーンがあります。
正論は正しければ正しいほど、相手に反発されます。
なぜなら相手にとっては、正論を認めると「自分が間違っている」と認めることになるからです。
だから、こいつは嫌な奴だ、性根が腐っているとして攻撃する事で自分を守るんでしょうね。
我が身を振り返ってみても、正論を言われたときは、ドキッとしたあとに怒りが込み上げてきたように思います。
それでも自分は正しい、相手が間違っているのだから正してあげないといけない、むしろ自分は優しいんだ、という人もいるかもしれません。
ですが、誰にとっても正しい事なんてないので、自分が正論だと思っていることや、社会通念として正しいことが、必ずしも最適とは限らないのは頭の片隅においておきたいところですね。
そのうえで相手を説得したい、と思うのならば共感をベースに相手の味方である事に努めるのが良いでしょう。
相手の言葉をすぐに否定せず、一度受け止めてから、自分の意見を提示する方が受け入れられやすいです。
以前、販売職をしていたときの経験からそのように思います。
最近つくったサイト
このブログの目的は、副業で行なっているサイトアフィリエイトでインデックスを飛ばしたいからです。
なので、上の話とは関係ありませんが、最近つくったサイトを貼っておきます。
【キャリアに悩んでいる人キャリアアンカー診断まじオススメです】有料キャリア相談を受けてきたので感想など
前回の記事で、「自分が何をしたいのかわからない」「将来どうなりたいのかわからない」となったときのキャリア相談について書きました。
今回、実際に有料のキャリア相談を受けてきたので、感想などを共有します。
※5,000文字超えたので目次貼っときます。
- めちゃくちゃ長くなったので先に結論書いときます
- カウンセリグの流れとか値段とか
- 相談した内容1:仕事と上司がイヤ→答え:客観的にはそこはホワイト企業
- 相談した内容2:何がしたいのかわかりません→答え:「何に向いているか」は絶対にわからない
- キャリアンカー診断を受けてみよう
- ちなみに僕は「自律・独立」
- キャリアプランについて
- まとめ
めちゃくちゃ長くなったので先に結論書いときます
カウンセリグの流れとか値段とか
相談先はネットで探しました。
「キャリア相談 地域」とか「キャリアカウンセリング 地域」とかで検索すると、その地域のキャリアカウンセラーがでてきます。
今回のところは60分で3000円で、国家資格を持っているカウンセラーが運営しているところでした。
ネットの予約フォームから予約をしようとしたところ予約が閲覧できる部分がすべて埋まっており「これは予約受付やめたかな?」と思ったんですけど、問い合わせメールで予約したかったけどできなかった旨を伝えたら予約できました。
(あとで話を聞くとSEO的に強くなりすぎて、予約が殺到していたから止めていたらしいです)
予約の日時を決定した後、メールでや現在悩んでいること・今回相談したいことなどを事前に伝え、当日を迎えました。
当日は今回のメールの内容をベースに、何に悩んでいるのか・どうすべきかのアドバイスを受けた感じです。
相談した内容1:仕事と上司がイヤ→答え:客観的にはそこはホワイト企業
実際に相談した内容についてですが、
といった感じの内容を相談しました。
まず仕事・上司がいやだという話に関しては、業務の環境について確認があり、そのうえでIT企業に転職した他のクライアントが長時間労働で眠れていない話や、体調を崩したIT技術者から相談を受けた話などをしてもらいました。
わかっていましたが、客観的に見てホワイトであるということです。
こちらに関しては「自分のわがままかな」と思っていたので、はっきり言ってもらえてスッキリしました。
次にキャリアチェンジ、キャリアプランに関してですが、正直こっちがすごかった。
相談した内容2:何がしたいのかわかりません→答え:「何に向いているか」は絶対にわからない
事前に送ったメールで、「後悔のない選択をしたいと思っておりますが、自分が何をしたいのか、どうなれば満足なのかがいまいちわかりません。」と書いたのですが、これに対しての答えが秀逸でした。
「今の時代、「自分に向いていること」や「自分が好きなこと」を探そうとする人が多いけど、「何に向いているか」というのは、絶対にわからない」
「なぜなら、今ある職業がどんどんなくなっていっており、そして新しい職業がたくさんできているから」
「だから、「何をするか」ではなく「どう働くか」に着目する方が良い選択をしやすい」
言葉遣いとか、細かい内容は違いますが、上記のようなアドバイスを受けました。
職種や業界は究極なんでも良いんだけれど、「どう働くか」にこだわることが大事。
この話の根拠には「キャリアアンカー」という考え方があります。
キャリアアンカーとは、個人がキャリアを選択していく上で絶対に譲れない軸となる価値観や欲求、能力などを人生の錨(アンカー)として例えられています。
マサチューセッツ工科大学ビジネススクールの組織心理学者であるエドガー・H・シャイン博士によって提唱されたキャリア理論の概念として有名です。
キャリアアンカーは一度形成されると周囲の環境や年齢が変化しても代わりにくいと言われており、生涯にわたってその人のキャリアを決定づける重要なファクターだとされています。
参考サイト:HR-COLUMN
つまり、職種も業界も入れ替わる可能性がある、というか絶対に入れ替わっていくけれど、一度形成されたキャリアアンカー(仕事へのこだわり・軸)は簡単には変わらないから、それを基準に仕事を選んでいこうということです。
実際には社会人として10年くらい働かないと確定はしてこないらしいんですが、学生時代くらいからだんだんと軸ができてくるらしいので、キャリアアンカーを調べてそれをベースに先のキャリアを考えるのが良いということでした。
キャリアンカー診断を受けてみよう
ここで受けられます。無料です。
キャリアアンカーの軸は下記の8つです。
①(TF) 専門・職能別コンピタンス Technical/FunctionalCompetence
どうしてもあきらめたくないこと
その領域で自分の技能を活用し、そのような技能をより高いレベルまで伸ばしていくことのできる機会を手に入れること。②(GM) 全般管理コンピタンスGeneral ManagerialCompetence
どうしてもあきらめたくないこと
組織の階段をできるだけ高いところまで上り詰めるチャンス。全体的な成果に責任を持てるようになること。③(AU) 自律・独立Autonomy/Independence
どうしてもあきらめたくないこと
仕事の枠組みを自分で決め、仕事を自分のやり方で仕切っていくこと。④(SE) 保障・安定Security/Stability
どうしてもあきらめたくないこと
会社の雇用保障、あるいはその職種や組織での終身雇用権など。特に、退職年金プランなど経済的な保障。⑤(EC) 起業家的独創性Entrepreneurial Creativity
どうしてもあきらめたくないこと
危険負担し、障害を乗り越える能力と意欲をもとに、自分自身の会社や事業を起こす機会。⑥(SV) 奉仕・社会貢献Service/Dedication to a Cause
どうしてもあきらめたくないこと
環境保護や、平和活動、人類に貢献する製品の開発など、何か価値のあることを成し遂げる仕事を追い求める機会。⑦(CH) 純粋な挑戦Pure Challenge
どうしてもあきらめたくないこと
困難な問題の解決に取り組んだり、手ごわい相手に打ち勝ったり、あるいは難しい障害を乗り越える、といった機会。⑧(LS) 生活様式Lifestyle
どうしてもあきらめたくないこと
自分自身の個人としての欲求や家族の要望、あるいは自分のキャリアの要件のバランスをとり、それらの統合が図れる状態 。
例えば、「全般管理コンピタンス」が強い人は、大企業で課長、部長、専務と出世していくのが楽しいので、フリーランスなんかやると最悪のはずです。
一方で、「自立・独立」の人は大企業の管理職なんかにつけられるくらいなら、契約社員とかのがましっていいかねません。
また「起業家的独創性」が強い人が公務員をやると退屈で鬱になるかもしれませんが、「保障・安定」の人に独立させると不安で鬱になるでしょう。
これは食品業界だろうと、医療だろうと、ITだろうと不動産だろうと、業界や商材や職種にかかわらず働き方の問題ですよね。
たとえばIT業界のエンジニアでも、目指すものが全く違います
①(TF) 専門・職能別コンピタンス →技術を極めて特定分野のエキスパートになる
②(GM) 全般管理コンピタンス→プロジェクトマネジャーになる
③(AU) 自律・独立→フリーランスか個人開発でたべていく系エンジニアを目指す
④(SE) 保障・安定→福利厚生やワークライフバランスの充実した職場で働きたい
⑤(EC) 起業家的独創性→Z○ZOタウンとかAmaz○nとかに負けないサービスを作る
⑥(SV) 奉仕・社会貢献→技術を人々のために生かしたい
⑦(CH) 純粋な挑戦→なるだけ技術的に難しいコードを書きたい
⑧(LS) 生活様式→早く帰れてそこそこ給料もらえる職場に行きたい
みたいな、仕事に求めるものが全く異なってきます。
そして、こういう仕事への姿勢は、職種や業界をまたいでも変わりません。
実際、今回カウンセリングしてくれた人は「起業家的独創性」が強く過去に不動産業で起業されていましたが、それがポシャったあとに再起して、キャリアカウンセリング事務所兼職業訓練所を再び起業されていました。
「好きなもので生きていく」的思想はとてもわかりますし、大事なことだと思います。
一方で好きなことがわからなければ「嫌なことを避けて生きていくべき」という考え方もあります。
自分自身のキャリアアンカーを把握することで、同じ職種・業界でも、より快適に楽しく働くことができるんじゃないかなって思いました。
逆に言うと、キャリアアンカーをわかっていないと「本当は好きなのに嫌いだと勘違い」してしまうこともあるかもしれないです。
料理が好きな人でも、「専門・職能別コンピタンス」の人は職人的な料理人になった方が良いだろうし、「起業家的独創性」の人はフランチャイズ展開できる料理を考案すべきだし、「奉仕・社会貢献」の人は炊き出しをするのが一番性に合っているかもしれない。
これがあべこべになって、「専門・職能別コンピタンス」の人がフランチャイズ的な料理を作るのはこだわりが許さないだろうし、「起業家的独創性」の人が炊き出しをしてもつまらないだろうし、「奉仕・社会貢献」の人が職人の下で修行しても辛いだけかもしれない。
結果として、本当は卓越した料理人になれたかもしれないのに、料理が嫌いになってしまった。
こんな悲しいことはないですよね。
なので、自分が生きやすくなるためだけでなく、本当に好きなことを見つけるためにも、キャリアアンカーを知っておくことは重要だと感じます。
ちなみに僕は「自律・独立」
そんなわけで僕もキャリアアンカー診断を受けてみたんですが、下記のような結果でした。
つまり「ごちゃごちゃいわれたくない」がキャリアの軸であるということですね。
ごちゃごちゃ言われるくらいならやめてやる!自由にやれないならもういい!お前らになんか従ってやるもんか!
完全に僕だな、と思います。
実際、仕事に嫌気がさしているのもテスト手法やリリースタイミングに関して、後付けでごちゃごちゃいわれるからですし、上司への憎しみはほぼ間違いなくやれ残業しろだのなんだのいってくるからです。
まちがいない、あってる。
なので、僕のキャリアの方向性としては、フリーランスor起業家になる!というのが正解っぽいです。
企業に属するとしても、専門性が高くて全権委任するしかない、みたいな状況を生み出せれば生存できるかもですが、難易度たかそうですね。
キャリアプランについて
キャリアアンカーについて熱く語り過ぎてしまって何書いているか忘れてましたが、キャリアカウンセリングの感想でしたね。
上記の結果に加え、話が進むにつれて僕が学生時代からずっと独立したいと思っていた、ということが明確になったので「20代のうちに独立する」を1つの目標として動くことになりました。
独立するために必要なものを逆算してみろとのことだったので、考えてみると必要なのは
- 顧客にバリューを与えられるだけの専門性
- 当面を生きれるだけの貯金
の2つであることが明確になりました。
その上で今の現状を考えると、「ホワイト企業に勤めている強みを生かして、お金をもらいつつ専門性を磨く」というのが妥当なのでは?というところに落ち着きました。
身につけるべき専門性は「集客力と成約力のあるウェブサイトの提案」をできるウェブマーケティングの技能という感じになりそうです。
というかとりあえずはそうしようかなと。
つまり、サイトアフィリエイトに取り組むということですね。
はじめにもどる!って感じですが、最初から自分は答えにたどり着いていたけど、決断できていなかっただけなんだと思います。
まとめ
正直カウンセリングというより、コンサルティングを受けている感じでした。
カウンセリングっていうとロジャースのいうところの受容的な感じなのかな?って思っていましたが、ズバズバズバ!って感じで問題解決してもらった感じです。
快刀乱麻を断つ、ってこんな感じかね。
今回のカウンセラーは"あたり"でした(言い方は悪いかもですが)。
なにせ起業経験者で、現役の社長ですから、独立したい系男子には最高のカウンセラーだったと言えます。
ただカウンセラーは相性があるので1度あってみて合わないなと思ったら別のところを試す勇気も必要だと思います。
あと有料カウンセリングだけあって、無理に転職を進めてくる感じも、何かを売りつけてくる感じもまったくありませんでした。
ズバっとおっしゃる論調が苦手な人もいるかもしれませんが、あくまでも誠実なアドバイスをもらえたなと感じます。
有料カウンセリングだと、少なくとも客観的な一意見を聞くことができるので、それだけでも受けてみる価値はあると思いますよ。
今回はサイトは貼りません。
ではまた。